【適応障害】新卒2年目の私が、ある日突然、会社に行けなくなった話。〜前編〜

こんにちは。いなちゃです。

 

実はわたし、先月末から会社を休職しております。

理由は適応障害

 

ストレスから心と体を壊してしまうという

割とよく目にするあのパターンです。

 

今はとにかく私の心と体を蝕むこの病気を治すべく

家でのんびり過ごしています。

 

とはいえ、

今まで丸1日、自分の時間を費やしていた“仕事”を一切しないわけですから、

違和感がないと言ったら嘘になります。

 

社会から置いていかれているような孤独感

もう元には戻れないのではないかと言う不安

今まで積み上げてきた信頼や経験を全ってしまうのではないかという恐怖

 

ふとした瞬間にどっと襲いかかってくるネガティブな感情に居ても立ってもいられないのが正直なところです。

 

もともと落ち着きのない性格で何かをしていないと不安になる私。

家から出る体力や、人と話す気力は一切ないけど、

文章を書くことならできるかも。

 

何かをして、自分の気を紛らわせたい。

自分の気持ちを書き出すことで、自分で自分の気持ちを確かめたい。

 

そして何より、私と同じような状況で苦しんでいる人にとって何か少しでも役に立つことができれば嬉しい。

 

そんな思いでブログを始めました。

 

今日は私が適応障害と診断されるまでのお話をしようと思います。

 

※今日のお話は前編です。

思ったよりも長くなってしまったので、前編と後編に分けています!( ・∇・)

 

 

 

働き方に限界を感じていた日々

 

新卒入社でコールセンターへと配属された私は、

休職までの約1年半、コールセンターで勤務をしていました。

 

元々人と関わることが好きな私。

大学時代のアルバイトも接客業ばかり。

 

人懐っこい性格に、誰とでもニコニコと笑顔で楽しそうに接することのできる私は、人間味あふれるコールセンターにぴったりだと思っていました。

 

ところが、実際に働いてみると、想像していた世界とはかけ離れていました。

 

入社1年目で責任者となった私は、右も左も分からないままにベテランオペレーター(10年選手がザラにいます)の上司になり、会社の顔として責任者対応をする日々。

 

毎日自分の未熟さと睨めっこの日々はかなりきつかった。

 

それでも、少しずつ自分のできることが増えてくるのは嬉しかったし、

最初から上手くできる人なんていないから。

と、頑張りました。

 

しかし、どれだけ心の持ちようを変えたとしても

自分自身の気質と仕事の相性というのは必ずあるもの。

 

私にとって、鳴り響く電話の中での業務は心身ともに想像を絶するストレスがかかっていたようです。

 

今思えば、学生時代のテスト勉強も、みんなの話し声や雑音が聞こえない図書室でしか勉強ができないような子供でした。

 

日々新しいお客様からの対応が相次ぐコールセンターは音も、スピード感も尋常じゃありませんでした。

 

常に何かに追われているような感覚。

 

仕事が終わった後は、まるで短距離走を走り終えた後のような疲労感でした。

 

そしてコロナ禍で急速に切り替わったリモート勤務。

 

わからないことがあっても、質問できる先輩は近くにいない。

 

でも、目の前では今すぐに手をつけなければいけない対応が山積み。

 

そして、お客様対応以外の個人業務。

 

1年目の私には、あまりにも過酷で

PCの前で泣きながら仕事をする日もありました。

 

もちろん、このままではダメだと思い、面談の時に勇気を振り絞って相談することもありした。

 

マルチタスクが苦手で・・・」

「お客様対応しながらの個人業務がどうしてもできないです」

 

先輩たちはみんな、それぞれの工夫でサクサクと仕事をこなしていたので仕事のアドバイスもいただきました。

 

でも、どれもイマイチ自分にはしっくりこない。

なんとかうまく仕事の要領を掴もうと試行錯誤するもののやっぱり私はうまくできませんでした。

 

他のみんなはできているのに、自分だけできないなんて。

 

できない私が悪いんだ・・・

 

と、どんどん自信を無くしていく日々。

 

さらに、自分の仕事が終わっていないのに電話が鳴ったり、

対応が降りかかってくることに段々とイライラが溜まり、

心に余裕がない状態で毎日働いていました。

 

若手だから、しんどいのは当たり前かな

20代はキャリアの軸ができる時だから苦労しないとだめだって聞くしな

必ずこの経験が活きる時が来るから今は頑張る時だ

 

そんなふうに自分に言い聞かせては、毎日毎日戦っていました。

 

配属当初から自分の中にあった違和感。

自分の中でモヤモヤを押し殺しながらの働き方は、

もう限界だったのかもしれません。

 

そんな時、私が休職することになったきっかけとなる出来事が起こったのです。

 

 

大好きなおばあちゃんの突然死

 

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7月末のこと。大好きだったおばあちゃんが突然亡くなりました。

 

死因は大動脈解離。身体の中の一番ぶっとい血管が破裂してしまったみたい。

 

おばあちゃんの死に方は、俗にいう“ピンピンコロリ”。いつものようにお昼寝をしていて、そのまま天国へ行きました。

 

母から連絡が入り、急いで病院へ駆けつけましたが間に合いませんでした。

 

病院であったおばあちゃんは冷たくなっていて。

私が知ってるあったかい、シワシワのおばあちゃんの手とはまるで違うようでした。

 

いつも、私のために美味しいご飯をいっぱい作って待っててくれたおばあちゃん。

 

イカ買ってきたから食べにおいで〜と電話くれるおばあちゃん。

 

コロナにかかってないやろうな〜?マスク送るからねと、自分のことよりも家族や孫のことばかりを考えてくれる優しい優しいおばあちゃん。

 

私が悩んだ時、辛い時、もう辞めたい時

そんな時は必ずおばあちゃんに会いに行った。

 

おばあちゃんと会って、おばあちゃんのご飯を食べる。

 

それだけで元気が出てきた。

 

私にとって、おばあちゃんはパワースポットだった。

 

そんなおばあちゃんが亡くなった。

 

信じられなかった。信じたくなかった。子供みたいに泣き叫んだ。

何回もばあちゃんの名前を呼んだ。でも、返事はなかった。

 

ひとまず会社に休みの連絡を入れ、お通夜、お葬式、家の片付けのために数日間会社を休んだ。

 

この数日間で私の中で何かが変わった。

 

人生で初めて、身近な人を亡くした私にとって、

最愛のおばあちゃんとの死別はインパクトが強すぎる経験でした。

 

 

迷惑かけないようにと、無理矢理仕事復帰

 

おばあちゃんが亡くなってから約1週間。

忌引き休暇をいただいていた私は仕事に復帰しました。

 

正直、精神的にもまだまだダメージがデカくて

仕事に戻ると考えただけで反吐が出そうだった。

 

でも、家族のみんなもそれぞれ自分の生活に戻ってるし

突然フロアを開けてしまって、チームに迷惑もかけてしまっているし

何より、いつまでも休み続けるわけにはいかないし

 

完全に戻れなくなる前に、早く感覚取り戻そう

 

そんな感じで半ば無理やり復帰した。

 

チームのみんなも協力してくれて

最初は少しずつフロアに戻るようになっていった。

 

電話が鳴らない環境というだけでも、かなり心にゆとりをもって働けたので、

みんなの協力はとてもありがたかった。

 

でも、コールセンターで働いている限りは、やっぱりいつまでもフロアに入らないわけにはいかない。

 

私は徐々にいつもの仕事のスピードに戻していった。

 

しかし、私にとって仕事はストレスの源。

 

おばあちゃんを亡くし、ボロボロだった私にとって、ストレスに耐えられるだけの気力は残ってなかったんだと思う。

 

以前はなんとか耐え凌いでいた仕事も、おばあちゃんが亡くなった後はまるで手がつかなくなっていた。

 

それでも、なんとか自分を誤魔化しながら気力で乗り越えていたが、だんだんと体が拒否反応を起こすようになっていったのだ。

 

 

相次ぐ身体からのSOS

 

最初は、夜中におばあちゃんのことを思い出しては泣き叫ぶ。

そんな感じだった。

 

だけど、次第に、おばあちゃんのことなんて全く考えていない時にも勝手に涙が出てくるようになった。

 

例えば、通勤電車に乗っている時、会社でPCを触っている時、会社に行く前。

とにかく、自分でもコントロールが不可能なのだ。

なんで泣いているのかわからなかった。怖かった。

 

そんな不思議な日々を送っているうちに、

電車に乗ろうと駅に向かう途中で激しい動悸、息切れが起こるようになった。

会社に向かう道、ビルの中のえれべーたー、動機は日に日に増えていく。

そのうち、PCの電源を入れただけで動悸がするようになった。

 

その他にも、仕事をしていると激しい頭痛、耳鳴り。

集中力が低下し、打ち合わせをしていても内容が頭に全く入ってこない。

など、体調不良がどんどん加速していった。

 

そのうち、雑談さえもできなくなった。

会いたが話している言葉が頭に入ってこない。人と会うのが怖い。

昼休みも、みんなとランチを食べるのが怖くて、休憩室の奥にある小さな部屋にこもって一人で寝ていた。

 

夜も、眠れなくなった。

今まで22時には寝ていた超健康体の私。

不眠なんてものには縁もゆかりもないような生活をしてきたのに。

 

次の日の仕事が不安でベッドに入っても眠れない。

眠りについても必ず明け方目が覚める。

誰かに追いかけられているような変な夢ばかりを見て、眠った気がしない。

 

そんなことが続いた。

 

なんか、最近の私、変じゃない?

明らかに異変は感じていた。最近の症状を打ち込み、検索した結果、出てきたのは

 

鬱病”だった。

 

まさか・・・

私が鬱・・・?

 

そんなわけないと思いながらも、

どう見ても症状は全部当てはまってるし、最近の自分の異変は自分が一番わかってた。

 

このままじゃやばいかもな、と思った私は躊躇うことなく精神科を探した。

 

この時の気持ちは、

 

私が精神科に通うなんていやだ!

 

というよりも、

 

この謎の体調不良の原因をいち早く突き止めたい。

 

その気持ちの方が強かった。

 

原因があればそれを伝えて休めるけど、

今のままじゃただのワガママになってしまう!サボりみたいになってしまう!

だから、なんでもいいから原因を知りたい。そう思ってた。

 

心のどこかで、このまま仕事を続けるのは無理があると感じてたのかもしれない。

 

もうそれくらい、私の身体と心はズタボロだった。

 

でも、ここで大問題。

 

どこの精神科も、ぜんっぜん予約が空いてないのだ。

 

いちばん早くても2週間後。

それに、土日診療の病院はほとんどないので、通院するのも大変そう。

 

社会人に優しくなさすぎる・・・

と思いつつも、ひとまず予約をした。

 

とにかく、病院の日まではなんとか頑張って仕事に行こう。

 

そう思い、私はスマホを閉じました。

 

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました( ・∇・)❀

病院に行ってからと休職までの流れは後編にて。