いい子だったけど、「好きなこと」も「得意なこと」もなかった私。

みなさん、こんにちは!いなちゃです( ・∇・)

 

タイトルにある通り、私は「好きなこと」も「得意なこと」もなんにもなかった、ただの平凡な人間です。

 

何かにハマるという経験がほとんどありませんでした。

 

一方で、私の妹や母親は、「好きなことなら頑張れる!好きなことだけをとことん突き詰める」そんなタイプの人間です。

 

母は、子供が好きだったので、保育士さん。

妹は、キラキラしたものやおしゃれが好きなので、ネイリスト。

 

それぞれ、好きな道に進んでいます。

 

(妹は、昔っからおしゃれが大好きで、小学生の頃には自分で勝手に眉毛を剃って、大失敗。母親にこっぴどく怒られているような子供でしたw)

 

そんな妹が、晴れてネイリストデビュー果たしたのです!^^✿

(本当に、おめでとう❤︎)

 

先日、ばあちゃんの四十九日があり、久しぶりに妹と会いました。

ネイリストとしての仕事のことをたくさんたくさん聞かせてくれました。

 

好きなことに向かって突っ走っている妹の姿はすごくかっこよくて。

しかも、しっかりと結果も出していて、我が妹ながらすごい!と、尊敬しました。

 

そんな感じで、妹と会話をしているうちに、

 

「そういえば私は昔っから好きなことが特になかったよな・・・」

 

と、そんなことを思いました。

 

好きなことも、やりたいこともない。

だから、進路の時には毎回決まって同じようなことで悩んでいました。

 

「私がやりたいことってなんなんだろう?」

「というか、私ができることなんてあるのだろうか?」

 

そして今回、休職し、また新たなスタートを切らなければいけないわけなのですが、、、

結局、同じ悩みの沼にドボンしてしまっているわけなのです( ;  ; )

 

小さい頃から、周りに褒められる、認められることを優先して生きてきた私。

そんな私の生き方の弊害がここにきてハッキリと出てきてしまっている気がします。

 

今回の記事は、長年抱えている私の葛藤を包み隠さ頭にお話ししていこうと思います。

 

ではでは、前置きが長くなりましたが、本編へどうぞ!

 

 

原動力は「お母さんに褒められたい!」それだけだった

 

私は子供の頃から「これが好き!」というのがなかった気がする。

 

学校の成績はそれなりによかった。

きょうだいの中でも私が一番頭が良かった。

 

でも、別に勉強が好きだったわけではない。

むしろ、勉強は嫌いだった。

 

でも、勉強した方が褒められるから。

先生もお母さんも点数を取ったら喜んでくれるから。

「よくできました」

周りからのその一言が嬉しくて、そのために勉強してた。

 

あと、昔から母に言われていた言葉も影響しているかもしれないな。

「嫌なことは先に終わらせておきなさい。」

「今頑張れば、後が楽になるから」

お母さんの言うことは絶対だと思っていた私は、素直に聞き続けた。

 

宿題は先に終わらせておく。

お母さんが仕事から帰ってくるまでに、洗濯物を取り込んで畳んでしまっておく。

 

「いなちゃ、宿題やった?」

と、お母さん聞かれる前に終わらせておくんだ。

そしたら、「賢いね、偉いね」とお母さんが褒めてくれるから。

 

いつの間にか私は、いい子になることに必死だった。

 

本当は、家に帰らずにそのまま友達と遊びに行きたかった。

本当は、洗濯物なんて入れずにお気に入りのテレビを見たかった。

本当は、本当は、本当は、、、。

気がつけば、知らず知らずのうちに自分の本当の気持ちに蓋をするようになった。

 

すると、周りのお母さんたちからも、

 

「いなちゃんはえらいね〜!いつもお母さんのお手伝いをして。

うちの子なんて、全く手伝いしないのよ。ほんと、いなちゃんを見習ってほしいわ〜!」

 

と、たくさん褒められた。

 

「いなちゃんはホントしっかりしてるね」

 

と、言われるようになった。

 

でも、あんまり嬉しくなかった。

しっかりしてるねって言葉は、私にとって褒め言葉でもなんでもなかった。

 

お手伝いをするいなちゃんが賢いんだったらお手伝いをしなくなったいなちゃんはもう、賢くないんだ、偉くなんだ。

ということは、お手伝いをしていないと、お母さんからも、周りの大人からも褒めてもらえなくなる。

 

だから私は、お手伝いをしなきゃいけないんだ!

しっかりとしたいなちゃんでいる為に・・・

 

いつしか私は、私の存在価値を条件付きで考えるようになってしまった。

 

きっと、この頃の思考癖がずっとずっと大人になってからも消えてない。

 

だから、結局「私が我慢して、私がやれば全て丸く収まるし、みんなは喜んでくれる!」そんな風に考えてしまって、全部自分で背負い込んでしまう。

 

もっと頼ってね

無理しないでね

 

そんな風に言ってもらえるのはありがたいんだけど、、、

 

昔から全部一人でやってきてしまったもんだから、今さら頼り方なんてわからないし、

 

何もしていない私なんて意味がない、常に何かをしていなきゃってゆう謎の呪縛で自分を苦しめているから、生きてるだけで十分えらいなんて言葉はなかなか受け取れない。

 

それもこれも、全部自分自身の考えが固すぎるだってわかってるんだけどね。

 

つくづく、生きづらい人間だなぁ〜って、時たま自分が嫌になることがあるよね。

 

でも、これで23年間を生きてきたから。

今さら、考え方を全部変える方がしんどいし、難しいんだよね。

頼った方がいいのも、生きてるだけで素晴らしいのも、わかってるの。

 

だって、私も人から頼ってもらえたら嬉しいし、家族、友達、恋人、私の大切な人たちのこと、条件付きで好いてるんじゃないもん。存在自体が愛おしいんだもん。

 

だから、他の人から見た私だって、きっと同じなんだよ。

 

わかっちゃいるけど、、、けど、、、ね。

そんな簡単な話ではないんだよね。

 

真面目で、頑張り屋さんで、完璧主義で、肩の力を抜くのがすごくへたっぴ。

私って、そんな人間。

 

いきなり全てを変えるのは不可能かもしれない。

少しずつでもいいから、こんな私を、まるごと自分で愛せる日が来るといいな。

 

 

生まれて初めて自分で掴んだ居場所で、生まれて初めて「しっかりしていない自分」になれた

 

そんな私も、人生でほんの少しの間だけ、「しっかりしていない自分」でいられたことがあった。

 

それは、大学時代の4年間だ。

特に、サークルに没頭していた1〜2回生の頃は、本当に自由で楽しかった。

 

島出身の私は、生まれた瞬間から高校を卒業するまで、常に進むべき道は決まっていた。

物心ついた時には隣にいてくれた友達と、ずーっと同じ道を辿っていた。

 

ところが、大学進学を機に島を出てからは、私の世界は一変した。

 

友達も、住む家も、自分の居場所も、全部全部自分で決めなければならない。

 

当時の私にとってはものすごく大きな壁だったけれど、この経験のおかげで、島暮らし18年の間にガチガチに凝り固まった私の頭にやっと、やっと、新しい価値観という名の亀裂が入ったのだ。

 

私が島でどんな暮らしをしていたかなんて、誰も知らない。

私がお母さんに褒められたいが為に、お手伝いや勉強を頑張ってたことなんて、もちろん知る由もない。周りの大人たちから「いなちゃんは賢い」と言われ続けてきた私だったけど、一歩外に出てみれば、私なんかよりも何倍も賢い人たちが山のようにいる!

 

周りの目ばかり気にしてきた私にとって、生まれて初めて周りの目が存在しない場所だった。

 

一から自分でサークルを選び、自分が選んだサークルの中で友達を作った。

大学の友達の前では、私は(いい意味で)バカになれた。

(だって、みんなの方が私よりも賢いんだもん!)

 

だから私が島で「賢い賢い」って言われてたんだよって話をしても、みんな信じなかった!笑

 

いつの間にか私は「しっかりした自分」を卒業していた。

 

大学時代の私は、みんなに好かれるために、褒められるために、サークルのことを色々と引き受けて頑張ったんじゃない。

 

ただただ、みんなのことが大好きだったから動けたんだ。

 

この違いは本当に大きかった。エネルギーの沸き方も全然違った。

 

しっかりしていなくても、少しくらいできていなくても、私は私でいいんだ。

本当に心からそう思えたのは、大学生になってからだったかもしれない。

 

そして、私は人生で初めて自分の「得意なこと」に気がつくことができたのも、この頃だった。

 

私には、どうやらその場をパッと明るくする力があるらしい。

いわゆるムードメーカーってやつだ。

「いなちゃんがいるだけで、その場が成立するのは本当にすごい!いなちゃんがいれば、みんな前向きな気持ちになれる。頑張ろうと思える!そんなパワーがある」

と、仲間たちが私に教えてくれた。

 

明るく元気。

 

そんなの、当たり前だと思っていた。

息をするように毎日当たり前にしていたことだったから、まさかそれが誰かにとっての特別になるなんて、思いもしなかったのだ。

 

私は今まで、「得意なこと」って、ピアノとか、バスケとか、絵を描くこととか、そういうことなんだと思ってた。

 

でも、人とすぐに仲良くなれるとか、空気を柔らかくするとか、人の気持ちに寄り添うことができるとか、そんなことも「得意なこと」って言えるのかなって思えた。

 

人生で初めて、自分の「得意なこと」、で「きること」がちょっとわかった気がした。

 

自分が心地よく生きていくために

 

私の人生を大きく変えた大学生活と、出会ってくれた仲間たちには感謝の気持ちしかない。

そして、4年間、何不自由なく大学に通わせてくれた両親には頭が上がらない。

 

大学生活で学んだことの一つは、環境が変われば見えてくる世界も変わると言うことだ。

 

自分の内面や性格はそんなに簡単には変わらない。

 

だからこそ、自分が心地よく生きられる環境を少しずつ模索していく必要があるのかもしれない。

 

今、わたしは新卒で入社した会社から離れようと考えている。

 

とても、大切な会社だから、本当に勇気のいる決断だけど。

それでも、私にはどうしても合わなかったのだ。

 

ただ、それだけ。

 

誰がいいとか、悪いとか、そう言う問題じゃない。

 

じゃあ、私は次、何の仕事をしよう?どんな働き方をしよう?

 

そんなのは正直まだ考えられる余裕はない。

 

私のやりたいことは何だ?

私の好きなことって何だ?

 

そんなことを考え出すと、また、無限ループが始まる。

 

今も変わらず、私には「好きなこと」はないし。

 

・・・・

 

いや、そんなこともないかもしれないぞ。

実は、去年からサウナにハマっている。

 

行けるときは週に2〜3回、サウナに行く生活が続いている。

 

こんなに何かにハマっているのは人生で初めてかもしれないので、すごく嬉しい( ・∇・)❤︎

 

「好きなこと」って、必ずしも、それを使って誰かの役に立たないといけないなんてことはないのかもしれないな。

 

自分を満足させるための魔法のアイテム。

そんなもんなのかもしれない。

 

周りの目を気にしちゃうことも、やらなきゃいけないことを優先してしまうことも、まだまだあるけど、これからの人生は、自分がご機嫌に生きていくために、自分の「好きなこと」を大切にする人生を過ごしてみたい。

 

自分の気持ちに蓋ばかりをしていると、本当に自分で自分がわからなくなってしまう。

 

自分が何に喜怒哀楽を感じるのか。それを知っておくことは本当に大切だ。

 

少しずつ、少しずつ。

 

今までできなかった分も、自分の気持ちに向き合っていきたいし、「これ、やりたい!」の感覚を大切にしていきたい^^❀

 

随分と生きづらい人間になってしまったけど、私は、そんな自分のことが別に嫌いじゃない。

 

人の気持ちがわかる優しくて繊細な心も、周りのみんなを明るくハッピーにする笑顔も、痒い所に手が届く気遣いも、私だからこそできることだ。

 

それに、私がたくさん頑張ったから、大好きなお母さんをたくさん助けてあげられた。

それは、私にとって幸せなことだった。

 

世界でたった一人の私と言う存在。

 

これまでも、これからも、私を一番近くで見てる私自身だからこそ、嫌なところも人一倍目につくんだろう。ただ、いいところに気づけるのも私自身だ。

 

だったら、これからは、いいところにフォーカスをして生きていこうと思う。

 

みんなから「いい子だね」「しっかりしてるね」と言われ続けてきた人生。

 

いい子だったけど、「好きなこと」も「得意なこと」も何もなく、ただただ周りから認めてもらうために駆け抜けてきた人生。

 

小さな島から飛び出して、少し世界が広がったことで、「得意なこと」がちょっぴりわかった気がする人生。

 

これからは自分のために「好きなこと」をちょっとずつ集めていく人生を歩もう。

 

何もなくていい。生きているだけでいい。

 

楽しく生きる。

 

人生の目的なんて、それだけで十分なのかもしれない。

 

 

 

 

今日も、読んでくださってありがとうございました!^^