【適応障害】普通の生活が「できない」私が、「できる」ようになったこと。

こんにちは。いなちゃです^^

 

私は今じいちゃんと2人暮らしをしているのですが、

(じいちゃんとの日々の様子はこちらからどうぞ✿↓)

 

inaxoxo8.hatenablog.com

 

 

先日、近所に住んでいる従兄弟が、学校帰りにじいちゃんに顔を見せにくると言ってたんです。

 

でも、来なかった。

 

従兄弟が言うには「久しぶりに学校に行ったら疲れた。体育もあったし。今日は家に帰ってゆっくりしたい。」と。

 

従兄弟の学校は、緊急事態宣言を受けてリモート授業をしていたことを私は知っていた。

 

久しぶりに登校して、リアルで友達と会って、学校という空気感に触れて、疲労度はリモートの時とは比べ物にならない。

 

しかも体育まであったんだから、体力的にも精神的にも、疲れ切ってたんだろうなあ。

 

そんな従兄弟の背景が浮かんできたので、私は何の気なしに

 

「まあ、久しぶりに学校まで行って、授業受けて、体育までしたら、そりゃ疲れるわぁ。今日は家でゆっくり寝とき〜。」

 

と、口にしてた。

 

ただ、従兄弟はその言葉がすごくすごく嬉しかったみたいで。

 

あとからおばちゃん(従兄弟の母親)に、「いなちゃ姉ちゃんはさすがや!よう分かっとる!」と、嬉しそうに話していたんだと。

(可愛いやっちゃ…)

 

でも、確かに、従兄弟が「今日は久しぶりの学校で疲れたからじいちゃんちに行けない」と言った時に、

 

「顔くらい見せにきたらいいのに。学校なんて、みんな行ってるでしょ。」

みたいな声かけも全然あり得たんじゃないのかな。と思う。

 

そして、以前の私ならきっとそんな言葉を口にしてたんじゃないかな。と、何となく感じている。(怖い、、、)

 

いま、自分が休職しているからこそ、

 

起きて、用意して、電車に乗って、友達と会って、そして勉強をする。

 

それがどれだけエネルギーを使うことかが分かる。

 

少なくとも今の私にはできないことだ。

 

今の私は、朝は起きられないし、用意を気力がないし、満員電車なんて考えただけで頭が痛くなるし、会社で同僚と顔を合わせてまともに話すなんてできない。

 

今までできていたことができなくなってしまったからこそ、大変さが想像できるのだ。

 

適応障害になる前の私は、割とガッツ溢れるタイプの人間だった。

 

心身共に超健康で、朝は強くて、出社も、同僚と話すのも、お茶の子さいさいって感じ。

(もうあの頃の私には戻れないんじゃないか…と思ってる笑)

 

我ながら、どこからエネルギーが溢れてたのか、不思議なくらい元気だった。

 

当時の私が今回の従兄弟の言葉を聞いたら、「学校行ったくらいでじいちゃんに顔見せに来れないなんて、甘えだ!」

 

なんて、思いやりもクソもない言葉を発してたような気がしてならない。

 

私の従兄弟はどちらかと言うと大人しいタイプだ。

 

あまり友達も多くない。

 

学校という空間がそんなに得意じゃないんだろうな、というのは普段の従兄弟を見ていると何となくわかる。

 

自分と相手は違う人間。

 

そんなことは分かりきっている。

 

でも、どうしても、自分ができることは相手もできると思い込んでしまうことが多いのだ。

 

私は、適応障害になって、仕事にいけなくなった。

 

仕事どころか、プライベートを楽しむこともできなくなった。

 

大好きだったはずの友達とも会えなくなって、

LINEを返す気力もなくなって、

美味しいご飯を食べるのも億劫になった。

 

だからこそ、普段の日常がいかに尊いものなのかを痛感した。

 

仕事に行く(学校に行く)って、どれだけすごいことか。

 

普通にできることじゃないんだ。

 

って、すごく感じた。

 

だから、疲れてる従兄弟に、

 

ゆっくりしな、と声をかけられたんだと思う。

 

相手と自分は違う。

だからこそ、相手の背景を想像して発言することの大切さを実感した。

 

「できない」を経験したことで、相手を想像「できる」範囲が広がったのだ。

 

決して二度とは経験したくないことだけれど、少しでも相手の気持ちを汲み取ることができる人間になれたなら、この経験も私の人生に必要だったのかな。

 

と、ほんの少しは前向きに捉えることができた。

 

そんな出来事でした。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございました^^❃

あなたに何か素敵なことが起こりますように・・・✼