【介護】82歳の祖父との暮らし。

 

みなさんこんばんは!いなちゃです^^

実は、私は今82歳の祖父と一緒に暮らしています。

 

今日は、そんな祖父との暮らしの中で私が日々感じていることを皆様にお話しします!( ・∇・)

 

 

祖父との暮らしが始まった理由

 

7月の末に私の大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。

死因は大動脈解離。本当に突然の出来事で、誰も間に合いませんでした。

 

その時、じいちゃんはと言うと、とある大学病院で入院をしていました。

私のじいちゃんは今、ステージ4の胃がんを抱えているのです・・・

 

がんを取るために、じいちゃんの胃は全摘出。

大きな大きな手術を控えての入院。

 

だったのですが・・・

 

ばあちゃんが突然亡くなり、じいちゃんはひとまず退院。

手術の2日前のことでした。

 

これが、手術の後だったら。

じいちゃんは病院から出ることができず、ばあちゃんとの最期のお別れも叶わなかったでしょう。

そう思うと、ばあちゃんがあの日に亡くなったのは、偶然じゃない気がしてならないのです。

 

実際に、じいちゃんは今もピンピンしていますw

今は薬を飲みながら少しずる眼を小さくするように奮闘中。

じいちゃん自身が、「手術はもうしたくない。」とのことなので、胃を全摘出する手術は、一旦お預けになりました。

 

本当だったら、今頃お腹を切って、胃を全部取り出して、病院で寝ているはずの人が目の前にいる。

手術当日は、なんとも不思議な感覚でじいちゃんのことを眺めてました・・・

 

じいちゃんとばあちゃんは9歳歳が離れた歳の差夫婦。(じいちゃんが歳上です)

そして、じいちゃんは癌で入院。

 

誰もが、先になくなるのはじいちゃんだと信じて疑いませんでした。

それが、、、まさか、、、。

 

これからのじいちゃんの生活はどうなるんだ?

家事はすべてばあちゃんに任せきりだったじいちゃん。

 

昔から、ばあちゃんが私たちの家に遊びに来ても、2〜3日もすれば

「じいちゃんが心配だから帰るね」と言って帰宅していました。

 

そんなじいちゃんが一人で生きていけるわけがない。ましてや82歳。

私の母は地元で飲食店を経営しています。

お店を空けて実家に帰るわけにも行かない・・・。

 

結局、比較的じいちゃんと家が近く、会社の仕事的にもじいちゃんを一番見ていられる私が、一緒に暮らすことになったのです。

(私は週の半分は在宅勤務だったので)

 

今考えてみれば、我ながら随分と思い切った決断だったと思いますw

 

それでも、お葬式中に悲しそうにばあちゃんを眺めるじいちゃんの姿を見て、「大丈夫。私が一緒に暮らすからね。一人じゃないから。さみしくないからね。」

気づいた時には、そう言葉にしていました。

 

私は、約6年間の一人暮らしに終止符を打ちました。

 

一人暮らしはもう十分堪能したしな。それに、家賃も生活費もかなり浮く・・・!

貯金できるし、まあ、いいかな。と、そんな感じの気持ちでした。笑

 

こうして、孫とじいちゃんの愉快なドタバタ生活の幕が開けたのです!

 

ワガママおじいさん

 

うちのじいちゃん、ま〜あ頑固でわがまま!

幸いにも、ボケてはいないので会話はできるのですが、やれ飯を用意しろだの、やれ掃除しろだの。

 

こちとら仕事でいっぱいいっぱいなのに、あれこれ言われると、カチンときますw

 

ただ、耳が聞こえないので、何を言い返してもあっちは聞こえてない。

なんか、イライラしているのが馬鹿らしくなってきて、一人で笑けてしまうんですww

 

休職前は、仕事中にしょっちゅう私の部屋に入ってきていました。

昔ながらの古いおうちなので部屋に鍵なんてありません。

コールセンター勤務だったので、お客様との電話中にじいちゃんが部屋に入ってこないかいつもヒヤヒヤ。

 

仕事だから部屋来ちゃだめだよ!と、何回も釘を刺します。

(それでも覗いてきますw)

 

寂しいのか、心配なのか・・・

フラ〜っと私の部屋に現れては、仕事の様子を見て、また居間に帰って行きますw

 

じいちゃんとの暮らしは必然だったのかもしれない

 

わがままで、頑固で、なんだか3歳児のような無邪気さがあるうちのじいちゃん。

 

毎日一緒にいればそりゃ喧嘩もします。

 

でも、私が作ったご飯をそれはそれは美味しそうな顔で食べるんです。

食卓におかずを並べるたびに、「おお〜!今日はご馳走や〜!」と、喜ぶんです。

(毎日。必ず。笑)

 

「ご飯、美味しい?」と聞くと、「美味しい、美味しい^^」と言って、本当に美味しそうにご飯を食べてくれます。

ガンがあるなんて信じられないくらいです。

 

その笑顔を見るたびに、可愛いなあ。と思ってしまうんです。笑

 

そして、じいちゃんの突拍子もない行動に毎日驚かされながらもついついクスッと笑ってしまうんです。

 

適応障害になり、会社を休職し、ずーっと家に引きこもっている私にとって、じいちゃんとの時間は生きがいになっているのかもしれない。

 

じいちゃんのご飯を作る時間

じいちゃんの笑顔を見る時間

じいちゃんと一緒に昼寝をする時間

じいちゃんと散歩する時間

 

どの時間も、私にとって本当に大切で、本当に愛おしい時間だ。

 

生きてるだけで素晴らしい。

そんなことを、じいちゃんの命と自分の命を通じて感じている。

もちろん、ばあちゃんの命が教えてくれたことだ。

 

(じいちゃんを支えるために一緒に暮らし始めたはずが、私もじいちゃんにいっぱいいっぱい支えられているんだなぁと、この記事を書きながらしみじみと感じました・・・)

 

ばあちゃんが、私にゆっくりする時間をくれたのかな。

今ならそう思えます。

 

ばあちゃんが亡くなってなかったら、じいちゃんと暮らす選択なんて全くなかった。

あのまま仕事を続けていたら私はどうなっていたかわからない。

きっと、病院になんて行かなかっただろうし、生活費が心配で休職なんてできなかったと思う。

 

私が、病院に行けたのも、しっかり休職できたのも、じいちゃんちで暮らしていくからお金はそんなに心配しなくても大丈夫だ。

そんな安心感があったのは確かだ。

 

早すぎるばあちゃんとのお別れ

じいちゃんとの暮らし

適応障害

休職

 

どれも私の人生のシナリオには全くなかったけれど、どの出来事も偶然じゃなくて必然なんだろうな。

 

きっと、なるべくしてなっているんだと感じる今日この頃だ。

 

何気ない日々が愛おしい

 

そんなじいちゃんとの暮らしももうすぐ1ヶ月が経つ。

相変わらずじいちゃんとのスローライフを送っている。

 

さっき、じいちゃんが足を痒そうに掻いていたので、「どうしたの?」と見てみると、乾燥で足がカサカサになってた。

 

私がお風呂上がりに使ってる保湿クリームを両手いっぱいに広げて、じいちゃんの足に塗ってあげると、と〜〜っても嬉しそうな顔で「おお、こりゃ気持ちええな^^」と笑ってた。

 

ホント、無邪気な子供みたいに笑うじいちゃんだ。

 

そんなじいちゃんの顔を見ると、たまらなく愛おしくなる。

 

私ができることは、そんなに多くはない。

 

ご飯を作って、一緒に食べること。

笑顔でじいちゃんの隣にいること。

爪を切ってあげること。

耳掃除をしてあげること。

保湿クリームを塗ってあげること。(今日、一個増えた!笑)

 

そんくらいかな。笑

特別なことなんて何もない。

 

でも、それでいいんだと思う。

 

大切な人と過ごす日々というのは、特別じゃなくたっていい。

大切な人の笑顔があれば、何気ない日々がこんなにも愛おしくなるんだ。

 

仕事の忙殺され、忘れていた大切なことを思い出した。

 

 

もちろん、この先、じいちゃんを私一人で全部支えていくなんてつもりは全くない。

 

実際に、今も、家族みんなで協力してじいちゃんを支えている。

私が逃げ出したくなった時は、家族にじいちゃんを託して数日間家を開けてもいいと思っている。

 

私はまだまだ若い。やりたいこともきっと出てくる。

じいちゃんとの日常よりも、優先したいことが出てくるなんて、全然あり得る話だ。

 

いつか終わりは必ず来る。

残酷かもしれないけど、現実はそんなもんだ。

 

だからこそ、今この瞬間の日々がとてつもなく愛おしいのだ。

大好きなじいちゃんと、なんでもない話で言い合えるこの日々が。

 

これから先の長い人生。

今この瞬間のじいちゃんとの日々は、きっと一瞬の出来事なんだろうな。

 

今は、愛おしいこの日々を精一杯噛み締めよう。

ゆっくり。のんびり。じいちゃんと一緒に心と身体も休めよう。

 

じいちゃん、毎日ありがとう。

 

そしてばあちゃん。

私に大切な時間をくれて、本当にありがとう。