【愛され力の秘訣】人生で初めて大河ドラマを見た話。〜龍馬伝〜

みなさんこんにちは、いなちゃです(^ω^)

 

先日、本屋さんでたまたま出会ってしまったんです。

 

この本に。

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【時代の全ての異端児たちへ】

 

いやぁ…

このキャッチコピーはしびれました。

 

https://twitter.com/inaxoxo8/status/1437308568051478529?s=21

 

そして本屋でパラパラっと立ち読み。

 

あー、この本はきっと人生の指針になる。

 

そんな直感がして、すぐに購入。

 

そして帰りの電車ですぐに松田松蔭を調べました。

 

松田松蔭を調べた時に関連して出てきた人物。

 

それは「坂本龍馬」でした。

 

お恥ずかしながら、私は今まで歴史に全く興味がなかったので、偉人という偉人を知りません。

 

中高で学んでいた日本史の授業は、ただただ年号と出来事を頭に叩き込む暗記科目でした。

 

ただ、坂本龍馬だけはすごく馴染み深い人物だったのです。

 

私は大学時代、京都で過ごしました。

そして、よさこいサークルに所属。

 

よさこい祭り高知県のお祭り。

大学時代、8月になると毎年高知県よさこい祭りに参加し、高知の街を踊りました。

 

そう、坂本龍馬が生まれ育った土佐に、私は毎年訪れていたのです。

 

土佐ではあちこちにある坂本龍馬銅像やグッズがあったので、自然と目にしていました。

 

さらに、京都に戻ってからも、龍馬よさこいという、the坂本龍馬な祭りに参加して踊っていました。

京都霊山護国神社でも踊りました。)

 

なので、歴史に無頓着な私も、坂本龍馬は「あ!知ってる!」となりました。(そりゃそうだ。知っててくれ。笑)

 

松田松蔭と坂本龍馬の関係性が知りたい!

 

というか、今まで私は高知や京都で坂本龍馬の名前ばかりを目にしていたけど坂本龍馬が実際にどんな人生を歩んだお方なのか、実はよく分かってない…

 

私の尊敬する方々はみんな口を揃えて坂本龍馬が好きだと言います。

 

私も!知りたい!

 

早速NHKオンデマンドに登録し、「龍馬伝」を全て見終わりました。

 

面白かった。面白すぎた。

 

今までは暗号のようにしか思わなかった、歴史の教科書に出てきたような言葉たちがスラスラはいってくる。

 

今の日本があるのは当たり前じゃない。

 

命を燃やして生きてきた方々のおかげなんだと心から感じました。

 

あああ、今すぐ高知県に行きたい!笑

今すぐ京都に行きたい!笑

 

そんな気持ちでウズウズしています。

 

熱くなってしまいましたが、わたしの気持ちはさておき。

 

私は、歴史的人物の生き様から、学べることの多さに、ようやく気がつきました。(遅すぎる)

 

特に、坂本龍馬「周りを巻き込む力」が強すぎる。。。

 

学ぶべき要素が盛り沢山でした。

 

なせ、人は龍馬についていきたくなったんだろう?

 

それは、

 

龍馬の想いに共感し、自分も共に叶えたいと思ったから。

 

龍馬の行動力に魅了され、この人を応援したい!と思ったから。

 

龍馬は強い想いを持ちながらも、自分と違う考え方を持つ人を否定はしなかった。どんな人に対しても、その人の背景を想像し、寄り添い、認める力があったから。

 

大きく分けてこの3つだと思います。

 

あれ・・・?

 

これって、現代のマネジメントや子育て、人間関係と全く同じじゃないですか?

 

つまり、

 

どれだけ時代が変わろうと、どれだけ環境が変わろうと、人間の本質は変わらないんですよね。

 

行動力も、戦略的な頭脳ももちろん必要。

 

でも、やっぱり最後は「心」なんです。

 

そして、この人を応援したい!そう思われる力。

それは、素直さ。「愛され力」ですね。

 

そんなの叶いっこないと思っても、もしかしたらこの人なら叶えてしまうんじゃないか。

 

この人が歩む人生を見てみたい。

 

そんなふうに周りに興味を持ってもらったり、応援してもらえる人間こそ、どんな時代でも生き抜くことができる。

 

時代は変わる。

 

環境も変わる。

 

でも、人の心は変わらない。

 

絶対に変えてはならない信念は何なのか?

 

そこを常に自分に問うておこうと思います。

 

そして、それさえ決まれば、あとは変化を恐れず行動するのみ。

 

時代の波に乗り進化していける人間(はたまた組織)に必ずなれます。

 

最後に。

 

古くして古きもの滅び

新しくして新しきものまた滅ぶ

古くして新しきもののみ

永遠にして不滅なり。

 

今日も読んでくださりありがとうございました❀

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたかったあの夜のこと。

 

こんにちは、いなちゃです^^

 

今日の内容は、タイトルにある通りです。

 

死にたい

 

そう思ってしまった日がありました。

ある日突然、糸が切れたしまったんですよね。。。

 

あの夜のことを、忘れないように。

 

もし、未来の私がまた弱ってしまったら。

この記事を見て、「生きてるだけで十分偉いんだ」ということを思い出して欲しい。

 

そんな気持ちで書きました。

 

お先に申し上げておきます…(><)

今回は、かなり赤裸々に暴露していますので、不快なお気持ちにさせてしまうかもしれません。

 

私の死にたかった時の気持ちや行動が書かれていますので、苦手な方はぜひ逃げてください。

 

では。記事に参ります。

 

死にたかったあの夜のこと

 

ある朝、母からあれこれと言わながら起こされた。


寝起きということもあり私は妙に機嫌が悪く、尖った口調で返事をした。


母と口喧嘩になってしまった。


別にいつもと変わらない

よくある光景だ


お互い感情的になっているだけだし、時間が経てばいつものように仲直りする。


・・・

はずだった。


でも、その日の私は少しおかしかった。


なんだか、もう、全てがどうでもよくなった。


張り詰めていた糸がプチっと切れてしまったような、そんな感覚だった。


最近は体調も精神もかなり不安定だった。


夜は寝付けないし、寝ても変な夢を見る。

この前なんか、大きなゴキブリが目の前に現れる夢を見た。

「ハッ」として起きる。

心臓がドキドキしてる。

ドラマみたいな目覚め方。最悪だ。悪夢だ。


目が覚めたら冷めたで日中はずっとイライラしてる。


なんだか最近は耳も痛い。

右耳が痛くて痛くてたまらないのだ。


耳鼻科で診てもらうと「外耳道炎」と診断された。


耳かきしすぎだよ〜


と。


なんか恥ずかしかった。

すんません、、、って感じ。


もらった薬を飲み出すと痛みはかなりマシになった。


でも、次は耳の中が水で塞がれているような感覚。薬も次第に効かなくなってきた。


夜は、耳が痛くて目が覚める。

耳が痛くて涙が出てくる。


なんでこんなに苦しいんだろう。


わたし、なんか悪いことしたのかな。


自分が何に苦しんでいて、何にイライラしてるのか、自分でも自分がわからなかった。


ただ、日々の体調不良が私の心も体を貪った。


調子の良い日が続いていたからすごく嬉しかったのに。


なぜか急に世界が入れ替わったかのように、また苦しい日々に逆戻り。


もう、嫌だった。


そんな時に母と喧嘩をしてしまったもんだから、何気ない一言がとても辛かった。


毎日自分なりに一生懸命やってたけど、


生きてるだけで精一杯な自分が不甲斐なくて情けなくなった。


なんだかもう、全てがバカバカしくてどうでもよくなってしまった。


死に方を調べて、延長コードを持ってマンションに向かい、すっからかんのクローゼットの中で着々と準備を始めていた。


だけどやっぱりできなかった。


首が苦しかった。


そして、苦しくなった時、床に掘り投げたスマホの画面から弟の着信が見えたのだ。


その瞬間に、家族のことが頭をよぎった。


私が死んだら、妹や弟がこれから生きづらくなってしまう。


お母さんはきっと悲しむだろうな。


ここで死んだらばあちゃんと会えなくなる。


私を心配して連絡してくれた友達も、「助けられなかった」と思うかもしれない。


ダメだ。


と、我に帰った。


怖かった。自分が自分じゃなかった気がする。


なんでこんなことをしてしまったんだろう。


もう、分からない。


そこからのことはあまり覚えていない。


妹の家に避難して、一晩泊めてもらった。


次の日、家に帰り泣きながらお母さんに謝った。


お母さんはギュッと強く強く私を抱きしめて「生きててくれてありがとう」そう言った。


涙が止まらなかった。


本当は怖かったんだ。


死にたいわけじゃなかった。

でも、生きたくもなかった。


もう、どうしたら良いのか分からなくなってた。


私が私じゃない感覚だった。


思考や行動が悪夢の中のようだった。

少しふわふわとしてた。現実味がなかった。


でも、


お母さんの顔を見て、抱きしめてもらって、手を強く握ってもらって、


その瞬間


「死にたくない」と思った。


仕事ができなくなって、社会からはみ出された気がしてた。

調子が良くなったと思ったらまた悪くなる。

身体のあちこちから悲鳴が上がる。

いつまでこんなことが続くんだろう。

自分の変化を目の当たりにする毎日。

きつかった。苦しかった。


でも、


引きこもってても良い

仕事できなくても良い

何もしなくて良いから


生きてて欲しい


その言葉を聞いた瞬間に、スーッと心がほぐれた気がした。


そして本当は私も生きたくて生きたくてたまらないんだと思った。

 

 


生きててよかった

って思える日がきっとくる。


死ぬ気になればなんでもできる。


そんな綺麗事は言わない。

というか、言えない。


本当に死にたい時ってそんな言葉は全く響かない。本当に響かない。


私は、死ぬのをやめたからといって、この先に希望も何も見出せてるわけじゃない。


これが本音。


相変わらず耳は痛いし

夜は眠れないし

部屋はぐちゃぐちゃだし 

仕事もできない

上司のLINEも返せなくて通知が溜まったままだ 


現実なんて、1ミリも変わってない


けど、


それでも良いから生きるんだ


そう思えるようになった。


もう、なんでもいい。

頑張れなくて良い。


でも


生きる。


死にたい時ってひとりぼっちな気がするんだよ。


私がいなくなっても世界は変わらないしとか思っちゃう。


実際、世界はこれっぽっちも変わらないと思う。


でも、家族や友達、私に関わってくれた全ての人の心の中に大きな大きな大きな穴と傷をつけてしまうんだ。


その人たちの世界は変わってしまうんだ。

 

生きづらい世の中だけど

行きたくない世界だけど

消えてしまった方がいいと思う夜もあるかもしれないけど


死んじゃダメだ。


なんの根拠もないけど。そんな気がするんだ。


妹の家に避難したあとは罪悪感で胸がいっぱいになった。

お風呂も入らず、歯磨きもせず、布団の中でぐるぐる考えながら、夜中にやっと眠りについた。


次の日の朝、起きたときに、


「あ、朝を迎えられた」


そう思った。


やっと、お風呂に入る気力が出てきた。


2日ぶりのお風呂だった。


シャワーを浴びた瞬間、涙が止まらなかった。


あったかいお湯を身体にかけた時、「あ、生きてる」って思ったんだ。


それだけでももう、生きててよかったと思えた。


あの時死んでいたら、お湯のあったかさは感じられなかったし、お母さんに抱きしめてもらうこともできなかった。


だから、わたしは、生きててよかった。


本当に。


そしてこれからも生きていく。


でも、もう、頑張るのはやめようと思う。


私の性格上、そんなこと言っても考えすぎてしまうし頑張りすぎてしまうんだけど。笑


生きてるだけでいいじゃん


って。


そのくらい、生きる基準を低くしてあげれば、少しは生きやすくなるのかな。


自分を甘やかしてあげようと思うんだ。


身体も心もいっぱいいっぱいの中で一生懸命生きてる自分をヨシヨシしてあげようと思う。


もう、生きることを頑張らない。


でも、生きる。


わたしは、生きます。

【適応障害】普通の生活が「できない」私が、「できる」ようになったこと。

こんにちは。いなちゃです^^

 

私は今じいちゃんと2人暮らしをしているのですが、

(じいちゃんとの日々の様子はこちらからどうぞ✿↓)

 

inaxoxo8.hatenablog.com

 

 

先日、近所に住んでいる従兄弟が、学校帰りにじいちゃんに顔を見せにくると言ってたんです。

 

でも、来なかった。

 

従兄弟が言うには「久しぶりに学校に行ったら疲れた。体育もあったし。今日は家に帰ってゆっくりしたい。」と。

 

従兄弟の学校は、緊急事態宣言を受けてリモート授業をしていたことを私は知っていた。

 

久しぶりに登校して、リアルで友達と会って、学校という空気感に触れて、疲労度はリモートの時とは比べ物にならない。

 

しかも体育まであったんだから、体力的にも精神的にも、疲れ切ってたんだろうなあ。

 

そんな従兄弟の背景が浮かんできたので、私は何の気なしに

 

「まあ、久しぶりに学校まで行って、授業受けて、体育までしたら、そりゃ疲れるわぁ。今日は家でゆっくり寝とき〜。」

 

と、口にしてた。

 

ただ、従兄弟はその言葉がすごくすごく嬉しかったみたいで。

 

あとからおばちゃん(従兄弟の母親)に、「いなちゃ姉ちゃんはさすがや!よう分かっとる!」と、嬉しそうに話していたんだと。

(可愛いやっちゃ…)

 

でも、確かに、従兄弟が「今日は久しぶりの学校で疲れたからじいちゃんちに行けない」と言った時に、

 

「顔くらい見せにきたらいいのに。学校なんて、みんな行ってるでしょ。」

みたいな声かけも全然あり得たんじゃないのかな。と思う。

 

そして、以前の私ならきっとそんな言葉を口にしてたんじゃないかな。と、何となく感じている。(怖い、、、)

 

いま、自分が休職しているからこそ、

 

起きて、用意して、電車に乗って、友達と会って、そして勉強をする。

 

それがどれだけエネルギーを使うことかが分かる。

 

少なくとも今の私にはできないことだ。

 

今の私は、朝は起きられないし、用意を気力がないし、満員電車なんて考えただけで頭が痛くなるし、会社で同僚と顔を合わせてまともに話すなんてできない。

 

今までできていたことができなくなってしまったからこそ、大変さが想像できるのだ。

 

適応障害になる前の私は、割とガッツ溢れるタイプの人間だった。

 

心身共に超健康で、朝は強くて、出社も、同僚と話すのも、お茶の子さいさいって感じ。

(もうあの頃の私には戻れないんじゃないか…と思ってる笑)

 

我ながら、どこからエネルギーが溢れてたのか、不思議なくらい元気だった。

 

当時の私が今回の従兄弟の言葉を聞いたら、「学校行ったくらいでじいちゃんに顔見せに来れないなんて、甘えだ!」

 

なんて、思いやりもクソもない言葉を発してたような気がしてならない。

 

私の従兄弟はどちらかと言うと大人しいタイプだ。

 

あまり友達も多くない。

 

学校という空間がそんなに得意じゃないんだろうな、というのは普段の従兄弟を見ていると何となくわかる。

 

自分と相手は違う人間。

 

そんなことは分かりきっている。

 

でも、どうしても、自分ができることは相手もできると思い込んでしまうことが多いのだ。

 

私は、適応障害になって、仕事にいけなくなった。

 

仕事どころか、プライベートを楽しむこともできなくなった。

 

大好きだったはずの友達とも会えなくなって、

LINEを返す気力もなくなって、

美味しいご飯を食べるのも億劫になった。

 

だからこそ、普段の日常がいかに尊いものなのかを痛感した。

 

仕事に行く(学校に行く)って、どれだけすごいことか。

 

普通にできることじゃないんだ。

 

って、すごく感じた。

 

だから、疲れてる従兄弟に、

 

ゆっくりしな、と声をかけられたんだと思う。

 

相手と自分は違う。

だからこそ、相手の背景を想像して発言することの大切さを実感した。

 

「できない」を経験したことで、相手を想像「できる」範囲が広がったのだ。

 

決して二度とは経験したくないことだけれど、少しでも相手の気持ちを汲み取ることができる人間になれたなら、この経験も私の人生に必要だったのかな。

 

と、ほんの少しは前向きに捉えることができた。

 

そんな出来事でした。

 

 

今日も読んでくださってありがとうございました^^❃

あなたに何か素敵なことが起こりますように・・・✼

 

 

 

 

 

 

 

いい子だったけど、「好きなこと」も「得意なこと」もなかった私。

みなさん、こんにちは!いなちゃです( ・∇・)

 

タイトルにある通り、私は「好きなこと」も「得意なこと」もなんにもなかった、ただの平凡な人間です。

 

何かにハマるという経験がほとんどありませんでした。

 

一方で、私の妹や母親は、「好きなことなら頑張れる!好きなことだけをとことん突き詰める」そんなタイプの人間です。

 

母は、子供が好きだったので、保育士さん。

妹は、キラキラしたものやおしゃれが好きなので、ネイリスト。

 

それぞれ、好きな道に進んでいます。

 

(妹は、昔っからおしゃれが大好きで、小学生の頃には自分で勝手に眉毛を剃って、大失敗。母親にこっぴどく怒られているような子供でしたw)

 

そんな妹が、晴れてネイリストデビュー果たしたのです!^^✿

(本当に、おめでとう❤︎)

 

先日、ばあちゃんの四十九日があり、久しぶりに妹と会いました。

ネイリストとしての仕事のことをたくさんたくさん聞かせてくれました。

 

好きなことに向かって突っ走っている妹の姿はすごくかっこよくて。

しかも、しっかりと結果も出していて、我が妹ながらすごい!と、尊敬しました。

 

そんな感じで、妹と会話をしているうちに、

 

「そういえば私は昔っから好きなことが特になかったよな・・・」

 

と、そんなことを思いました。

 

好きなことも、やりたいこともない。

だから、進路の時には毎回決まって同じようなことで悩んでいました。

 

「私がやりたいことってなんなんだろう?」

「というか、私ができることなんてあるのだろうか?」

 

そして今回、休職し、また新たなスタートを切らなければいけないわけなのですが、、、

結局、同じ悩みの沼にドボンしてしまっているわけなのです( ;  ; )

 

小さい頃から、周りに褒められる、認められることを優先して生きてきた私。

そんな私の生き方の弊害がここにきてハッキリと出てきてしまっている気がします。

 

今回の記事は、長年抱えている私の葛藤を包み隠さ頭にお話ししていこうと思います。

 

ではでは、前置きが長くなりましたが、本編へどうぞ!

 

 

原動力は「お母さんに褒められたい!」それだけだった

 

私は子供の頃から「これが好き!」というのがなかった気がする。

 

学校の成績はそれなりによかった。

きょうだいの中でも私が一番頭が良かった。

 

でも、別に勉強が好きだったわけではない。

むしろ、勉強は嫌いだった。

 

でも、勉強した方が褒められるから。

先生もお母さんも点数を取ったら喜んでくれるから。

「よくできました」

周りからのその一言が嬉しくて、そのために勉強してた。

 

あと、昔から母に言われていた言葉も影響しているかもしれないな。

「嫌なことは先に終わらせておきなさい。」

「今頑張れば、後が楽になるから」

お母さんの言うことは絶対だと思っていた私は、素直に聞き続けた。

 

宿題は先に終わらせておく。

お母さんが仕事から帰ってくるまでに、洗濯物を取り込んで畳んでしまっておく。

 

「いなちゃ、宿題やった?」

と、お母さん聞かれる前に終わらせておくんだ。

そしたら、「賢いね、偉いね」とお母さんが褒めてくれるから。

 

いつの間にか私は、いい子になることに必死だった。

 

本当は、家に帰らずにそのまま友達と遊びに行きたかった。

本当は、洗濯物なんて入れずにお気に入りのテレビを見たかった。

本当は、本当は、本当は、、、。

気がつけば、知らず知らずのうちに自分の本当の気持ちに蓋をするようになった。

 

すると、周りのお母さんたちからも、

 

「いなちゃんはえらいね〜!いつもお母さんのお手伝いをして。

うちの子なんて、全く手伝いしないのよ。ほんと、いなちゃんを見習ってほしいわ〜!」

 

と、たくさん褒められた。

 

「いなちゃんはホントしっかりしてるね」

 

と、言われるようになった。

 

でも、あんまり嬉しくなかった。

しっかりしてるねって言葉は、私にとって褒め言葉でもなんでもなかった。

 

お手伝いをするいなちゃんが賢いんだったらお手伝いをしなくなったいなちゃんはもう、賢くないんだ、偉くなんだ。

ということは、お手伝いをしていないと、お母さんからも、周りの大人からも褒めてもらえなくなる。

 

だから私は、お手伝いをしなきゃいけないんだ!

しっかりとしたいなちゃんでいる為に・・・

 

いつしか私は、私の存在価値を条件付きで考えるようになってしまった。

 

きっと、この頃の思考癖がずっとずっと大人になってからも消えてない。

 

だから、結局「私が我慢して、私がやれば全て丸く収まるし、みんなは喜んでくれる!」そんな風に考えてしまって、全部自分で背負い込んでしまう。

 

もっと頼ってね

無理しないでね

 

そんな風に言ってもらえるのはありがたいんだけど、、、

 

昔から全部一人でやってきてしまったもんだから、今さら頼り方なんてわからないし、

 

何もしていない私なんて意味がない、常に何かをしていなきゃってゆう謎の呪縛で自分を苦しめているから、生きてるだけで十分えらいなんて言葉はなかなか受け取れない。

 

それもこれも、全部自分自身の考えが固すぎるだってわかってるんだけどね。

 

つくづく、生きづらい人間だなぁ〜って、時たま自分が嫌になることがあるよね。

 

でも、これで23年間を生きてきたから。

今さら、考え方を全部変える方がしんどいし、難しいんだよね。

頼った方がいいのも、生きてるだけで素晴らしいのも、わかってるの。

 

だって、私も人から頼ってもらえたら嬉しいし、家族、友達、恋人、私の大切な人たちのこと、条件付きで好いてるんじゃないもん。存在自体が愛おしいんだもん。

 

だから、他の人から見た私だって、きっと同じなんだよ。

 

わかっちゃいるけど、、、けど、、、ね。

そんな簡単な話ではないんだよね。

 

真面目で、頑張り屋さんで、完璧主義で、肩の力を抜くのがすごくへたっぴ。

私って、そんな人間。

 

いきなり全てを変えるのは不可能かもしれない。

少しずつでもいいから、こんな私を、まるごと自分で愛せる日が来るといいな。

 

 

生まれて初めて自分で掴んだ居場所で、生まれて初めて「しっかりしていない自分」になれた

 

そんな私も、人生でほんの少しの間だけ、「しっかりしていない自分」でいられたことがあった。

 

それは、大学時代の4年間だ。

特に、サークルに没頭していた1〜2回生の頃は、本当に自由で楽しかった。

 

島出身の私は、生まれた瞬間から高校を卒業するまで、常に進むべき道は決まっていた。

物心ついた時には隣にいてくれた友達と、ずーっと同じ道を辿っていた。

 

ところが、大学進学を機に島を出てからは、私の世界は一変した。

 

友達も、住む家も、自分の居場所も、全部全部自分で決めなければならない。

 

当時の私にとってはものすごく大きな壁だったけれど、この経験のおかげで、島暮らし18年の間にガチガチに凝り固まった私の頭にやっと、やっと、新しい価値観という名の亀裂が入ったのだ。

 

私が島でどんな暮らしをしていたかなんて、誰も知らない。

私がお母さんに褒められたいが為に、お手伝いや勉強を頑張ってたことなんて、もちろん知る由もない。周りの大人たちから「いなちゃんは賢い」と言われ続けてきた私だったけど、一歩外に出てみれば、私なんかよりも何倍も賢い人たちが山のようにいる!

 

周りの目ばかり気にしてきた私にとって、生まれて初めて周りの目が存在しない場所だった。

 

一から自分でサークルを選び、自分が選んだサークルの中で友達を作った。

大学の友達の前では、私は(いい意味で)バカになれた。

(だって、みんなの方が私よりも賢いんだもん!)

 

だから私が島で「賢い賢い」って言われてたんだよって話をしても、みんな信じなかった!笑

 

いつの間にか私は「しっかりした自分」を卒業していた。

 

大学時代の私は、みんなに好かれるために、褒められるために、サークルのことを色々と引き受けて頑張ったんじゃない。

 

ただただ、みんなのことが大好きだったから動けたんだ。

 

この違いは本当に大きかった。エネルギーの沸き方も全然違った。

 

しっかりしていなくても、少しくらいできていなくても、私は私でいいんだ。

本当に心からそう思えたのは、大学生になってからだったかもしれない。

 

そして、私は人生で初めて自分の「得意なこと」に気がつくことができたのも、この頃だった。

 

私には、どうやらその場をパッと明るくする力があるらしい。

いわゆるムードメーカーってやつだ。

「いなちゃんがいるだけで、その場が成立するのは本当にすごい!いなちゃんがいれば、みんな前向きな気持ちになれる。頑張ろうと思える!そんなパワーがある」

と、仲間たちが私に教えてくれた。

 

明るく元気。

 

そんなの、当たり前だと思っていた。

息をするように毎日当たり前にしていたことだったから、まさかそれが誰かにとっての特別になるなんて、思いもしなかったのだ。

 

私は今まで、「得意なこと」って、ピアノとか、バスケとか、絵を描くこととか、そういうことなんだと思ってた。

 

でも、人とすぐに仲良くなれるとか、空気を柔らかくするとか、人の気持ちに寄り添うことができるとか、そんなことも「得意なこと」って言えるのかなって思えた。

 

人生で初めて、自分の「得意なこと」、で「きること」がちょっとわかった気がした。

 

自分が心地よく生きていくために

 

私の人生を大きく変えた大学生活と、出会ってくれた仲間たちには感謝の気持ちしかない。

そして、4年間、何不自由なく大学に通わせてくれた両親には頭が上がらない。

 

大学生活で学んだことの一つは、環境が変われば見えてくる世界も変わると言うことだ。

 

自分の内面や性格はそんなに簡単には変わらない。

 

だからこそ、自分が心地よく生きられる環境を少しずつ模索していく必要があるのかもしれない。

 

今、わたしは新卒で入社した会社から離れようと考えている。

 

とても、大切な会社だから、本当に勇気のいる決断だけど。

それでも、私にはどうしても合わなかったのだ。

 

ただ、それだけ。

 

誰がいいとか、悪いとか、そう言う問題じゃない。

 

じゃあ、私は次、何の仕事をしよう?どんな働き方をしよう?

 

そんなのは正直まだ考えられる余裕はない。

 

私のやりたいことは何だ?

私の好きなことって何だ?

 

そんなことを考え出すと、また、無限ループが始まる。

 

今も変わらず、私には「好きなこと」はないし。

 

・・・・

 

いや、そんなこともないかもしれないぞ。

実は、去年からサウナにハマっている。

 

行けるときは週に2〜3回、サウナに行く生活が続いている。

 

こんなに何かにハマっているのは人生で初めてかもしれないので、すごく嬉しい( ・∇・)❤︎

 

「好きなこと」って、必ずしも、それを使って誰かの役に立たないといけないなんてことはないのかもしれないな。

 

自分を満足させるための魔法のアイテム。

そんなもんなのかもしれない。

 

周りの目を気にしちゃうことも、やらなきゃいけないことを優先してしまうことも、まだまだあるけど、これからの人生は、自分がご機嫌に生きていくために、自分の「好きなこと」を大切にする人生を過ごしてみたい。

 

自分の気持ちに蓋ばかりをしていると、本当に自分で自分がわからなくなってしまう。

 

自分が何に喜怒哀楽を感じるのか。それを知っておくことは本当に大切だ。

 

少しずつ、少しずつ。

 

今までできなかった分も、自分の気持ちに向き合っていきたいし、「これ、やりたい!」の感覚を大切にしていきたい^^❀

 

随分と生きづらい人間になってしまったけど、私は、そんな自分のことが別に嫌いじゃない。

 

人の気持ちがわかる優しくて繊細な心も、周りのみんなを明るくハッピーにする笑顔も、痒い所に手が届く気遣いも、私だからこそできることだ。

 

それに、私がたくさん頑張ったから、大好きなお母さんをたくさん助けてあげられた。

それは、私にとって幸せなことだった。

 

世界でたった一人の私と言う存在。

 

これまでも、これからも、私を一番近くで見てる私自身だからこそ、嫌なところも人一倍目につくんだろう。ただ、いいところに気づけるのも私自身だ。

 

だったら、これからは、いいところにフォーカスをして生きていこうと思う。

 

みんなから「いい子だね」「しっかりしてるね」と言われ続けてきた人生。

 

いい子だったけど、「好きなこと」も「得意なこと」も何もなく、ただただ周りから認めてもらうために駆け抜けてきた人生。

 

小さな島から飛び出して、少し世界が広がったことで、「得意なこと」がちょっぴりわかった気がする人生。

 

これからは自分のために「好きなこと」をちょっとずつ集めていく人生を歩もう。

 

何もなくていい。生きているだけでいい。

 

楽しく生きる。

 

人生の目的なんて、それだけで十分なのかもしれない。

 

 

 

 

今日も、読んでくださってありがとうございました!^^

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【介護】82歳の祖父との暮らし。

 

みなさんこんばんは!いなちゃです^^

実は、私は今82歳の祖父と一緒に暮らしています。

 

今日は、そんな祖父との暮らしの中で私が日々感じていることを皆様にお話しします!( ・∇・)

 

 

祖父との暮らしが始まった理由

 

7月の末に私の大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。

死因は大動脈解離。本当に突然の出来事で、誰も間に合いませんでした。

 

その時、じいちゃんはと言うと、とある大学病院で入院をしていました。

私のじいちゃんは今、ステージ4の胃がんを抱えているのです・・・

 

がんを取るために、じいちゃんの胃は全摘出。

大きな大きな手術を控えての入院。

 

だったのですが・・・

 

ばあちゃんが突然亡くなり、じいちゃんはひとまず退院。

手術の2日前のことでした。

 

これが、手術の後だったら。

じいちゃんは病院から出ることができず、ばあちゃんとの最期のお別れも叶わなかったでしょう。

そう思うと、ばあちゃんがあの日に亡くなったのは、偶然じゃない気がしてならないのです。

 

実際に、じいちゃんは今もピンピンしていますw

今は薬を飲みながら少しずる眼を小さくするように奮闘中。

じいちゃん自身が、「手術はもうしたくない。」とのことなので、胃を全摘出する手術は、一旦お預けになりました。

 

本当だったら、今頃お腹を切って、胃を全部取り出して、病院で寝ているはずの人が目の前にいる。

手術当日は、なんとも不思議な感覚でじいちゃんのことを眺めてました・・・

 

じいちゃんとばあちゃんは9歳歳が離れた歳の差夫婦。(じいちゃんが歳上です)

そして、じいちゃんは癌で入院。

 

誰もが、先になくなるのはじいちゃんだと信じて疑いませんでした。

それが、、、まさか、、、。

 

これからのじいちゃんの生活はどうなるんだ?

家事はすべてばあちゃんに任せきりだったじいちゃん。

 

昔から、ばあちゃんが私たちの家に遊びに来ても、2〜3日もすれば

「じいちゃんが心配だから帰るね」と言って帰宅していました。

 

そんなじいちゃんが一人で生きていけるわけがない。ましてや82歳。

私の母は地元で飲食店を経営しています。

お店を空けて実家に帰るわけにも行かない・・・。

 

結局、比較的じいちゃんと家が近く、会社の仕事的にもじいちゃんを一番見ていられる私が、一緒に暮らすことになったのです。

(私は週の半分は在宅勤務だったので)

 

今考えてみれば、我ながら随分と思い切った決断だったと思いますw

 

それでも、お葬式中に悲しそうにばあちゃんを眺めるじいちゃんの姿を見て、「大丈夫。私が一緒に暮らすからね。一人じゃないから。さみしくないからね。」

気づいた時には、そう言葉にしていました。

 

私は、約6年間の一人暮らしに終止符を打ちました。

 

一人暮らしはもう十分堪能したしな。それに、家賃も生活費もかなり浮く・・・!

貯金できるし、まあ、いいかな。と、そんな感じの気持ちでした。笑

 

こうして、孫とじいちゃんの愉快なドタバタ生活の幕が開けたのです!

 

ワガママおじいさん

 

うちのじいちゃん、ま〜あ頑固でわがまま!

幸いにも、ボケてはいないので会話はできるのですが、やれ飯を用意しろだの、やれ掃除しろだの。

 

こちとら仕事でいっぱいいっぱいなのに、あれこれ言われると、カチンときますw

 

ただ、耳が聞こえないので、何を言い返してもあっちは聞こえてない。

なんか、イライラしているのが馬鹿らしくなってきて、一人で笑けてしまうんですww

 

休職前は、仕事中にしょっちゅう私の部屋に入ってきていました。

昔ながらの古いおうちなので部屋に鍵なんてありません。

コールセンター勤務だったので、お客様との電話中にじいちゃんが部屋に入ってこないかいつもヒヤヒヤ。

 

仕事だから部屋来ちゃだめだよ!と、何回も釘を刺します。

(それでも覗いてきますw)

 

寂しいのか、心配なのか・・・

フラ〜っと私の部屋に現れては、仕事の様子を見て、また居間に帰って行きますw

 

じいちゃんとの暮らしは必然だったのかもしれない

 

わがままで、頑固で、なんだか3歳児のような無邪気さがあるうちのじいちゃん。

 

毎日一緒にいればそりゃ喧嘩もします。

 

でも、私が作ったご飯をそれはそれは美味しそうな顔で食べるんです。

食卓におかずを並べるたびに、「おお〜!今日はご馳走や〜!」と、喜ぶんです。

(毎日。必ず。笑)

 

「ご飯、美味しい?」と聞くと、「美味しい、美味しい^^」と言って、本当に美味しそうにご飯を食べてくれます。

ガンがあるなんて信じられないくらいです。

 

その笑顔を見るたびに、可愛いなあ。と思ってしまうんです。笑

 

そして、じいちゃんの突拍子もない行動に毎日驚かされながらもついついクスッと笑ってしまうんです。

 

適応障害になり、会社を休職し、ずーっと家に引きこもっている私にとって、じいちゃんとの時間は生きがいになっているのかもしれない。

 

じいちゃんのご飯を作る時間

じいちゃんの笑顔を見る時間

じいちゃんと一緒に昼寝をする時間

じいちゃんと散歩する時間

 

どの時間も、私にとって本当に大切で、本当に愛おしい時間だ。

 

生きてるだけで素晴らしい。

そんなことを、じいちゃんの命と自分の命を通じて感じている。

もちろん、ばあちゃんの命が教えてくれたことだ。

 

(じいちゃんを支えるために一緒に暮らし始めたはずが、私もじいちゃんにいっぱいいっぱい支えられているんだなぁと、この記事を書きながらしみじみと感じました・・・)

 

ばあちゃんが、私にゆっくりする時間をくれたのかな。

今ならそう思えます。

 

ばあちゃんが亡くなってなかったら、じいちゃんと暮らす選択なんて全くなかった。

あのまま仕事を続けていたら私はどうなっていたかわからない。

きっと、病院になんて行かなかっただろうし、生活費が心配で休職なんてできなかったと思う。

 

私が、病院に行けたのも、しっかり休職できたのも、じいちゃんちで暮らしていくからお金はそんなに心配しなくても大丈夫だ。

そんな安心感があったのは確かだ。

 

早すぎるばあちゃんとのお別れ

じいちゃんとの暮らし

適応障害

休職

 

どれも私の人生のシナリオには全くなかったけれど、どの出来事も偶然じゃなくて必然なんだろうな。

 

きっと、なるべくしてなっているんだと感じる今日この頃だ。

 

何気ない日々が愛おしい

 

そんなじいちゃんとの暮らしももうすぐ1ヶ月が経つ。

相変わらずじいちゃんとのスローライフを送っている。

 

さっき、じいちゃんが足を痒そうに掻いていたので、「どうしたの?」と見てみると、乾燥で足がカサカサになってた。

 

私がお風呂上がりに使ってる保湿クリームを両手いっぱいに広げて、じいちゃんの足に塗ってあげると、と〜〜っても嬉しそうな顔で「おお、こりゃ気持ちええな^^」と笑ってた。

 

ホント、無邪気な子供みたいに笑うじいちゃんだ。

 

そんなじいちゃんの顔を見ると、たまらなく愛おしくなる。

 

私ができることは、そんなに多くはない。

 

ご飯を作って、一緒に食べること。

笑顔でじいちゃんの隣にいること。

爪を切ってあげること。

耳掃除をしてあげること。

保湿クリームを塗ってあげること。(今日、一個増えた!笑)

 

そんくらいかな。笑

特別なことなんて何もない。

 

でも、それでいいんだと思う。

 

大切な人と過ごす日々というのは、特別じゃなくたっていい。

大切な人の笑顔があれば、何気ない日々がこんなにも愛おしくなるんだ。

 

仕事の忙殺され、忘れていた大切なことを思い出した。

 

 

もちろん、この先、じいちゃんを私一人で全部支えていくなんてつもりは全くない。

 

実際に、今も、家族みんなで協力してじいちゃんを支えている。

私が逃げ出したくなった時は、家族にじいちゃんを託して数日間家を開けてもいいと思っている。

 

私はまだまだ若い。やりたいこともきっと出てくる。

じいちゃんとの日常よりも、優先したいことが出てくるなんて、全然あり得る話だ。

 

いつか終わりは必ず来る。

残酷かもしれないけど、現実はそんなもんだ。

 

だからこそ、今この瞬間の日々がとてつもなく愛おしいのだ。

大好きなじいちゃんと、なんでもない話で言い合えるこの日々が。

 

これから先の長い人生。

今この瞬間のじいちゃんとの日々は、きっと一瞬の出来事なんだろうな。

 

今は、愛おしいこの日々を精一杯噛み締めよう。

ゆっくり。のんびり。じいちゃんと一緒に心と身体も休めよう。

 

じいちゃん、毎日ありがとう。

 

そしてばあちゃん。

私に大切な時間をくれて、本当にありがとう。

 

 

 

「わたしたちにできること」おかえりモネを見て感じたこと。

今週のモネは苦しい。特に神野さん。

「私には傷ついた経験がないから説得力がない。」そんな言葉で自分を締め付けている。


たしかに、世間では、傷ついた方が強くなれるってゆう風潮があるよね。


涙の数だけ強くなれるよ

ってゆう歌があるくらいだもん。


挫折があるから強くなれるみたいな

何もなく生きてきた人間は薄っぺらいみたいな


確かに挫折した人とか、頑張ってきた人の話を聞くと、すごいなって尊敬する反面、私にはそこまで踏ん張った経験ないやって、自分のペラペラさに腹が立ったり、悲しくなったりすることがある。


神野さんと私は同世代。


私たちのような世代だと、まだまだ挫折を味わったことのないいわゆる「ハッピーに生きてきた人」なんて、山ほどいるんじゃないだろうか。


モネや野坂さんのような震災を経験した人たち。

神野さんのようにただただハッピーに生きてきてそれなりにチヤホヤされて生きてきた人。


その違いって、「偶然」でしかないと思う。


そして、大事なのは、傷ついた経験があるかないかじゃなくて、その経験をどう活かすか。ってところなんじゃないかと私は思った。


今週のタイトルは「わたしたちにできること」


わたしたちにできることは、きっと一人一人違う。


傷ついた経験があるからこそ寄り添える痛みは絶対にあるはずだ。


でも、傷ついた経験がないからなにもできないってゆう考え方は違うと思う。


そんな経験がない自分だからこそできることってなんだろう。


そんな風に考えてみると、少し違った世界が見えるのかもしれない。


神野さんは強い。そして真面目だ。

ただただハッピーに生きていきただけで、気象予報士になれるほど甘い世界じゃない。


自分では、なんとなくできちゃってるから気がつかないだけで、神野さんの良さや、神野さんにできることはきっとあるんだ。


そこに気がつくことができればきっと、もっと強くなれる。


人って、他人の強みはすごく敏感なのに(自分に持っていないことだから)、自分の強みにはすごく鈍感だ。


それが当たり前のように生きてきたから、こんなの誰でもできるって思っちゃったり、自分にはない他人のいいところばっかりを見ちゃう。


でも、本当は、自分が息をするかのようにできてしまう当たり前の自分らしさ、自分の強みを使って、誰かの役に立てることほど素晴らしいことはないんだよね。


神野さんで言うと、どんなに悔しくても折れない強い心や、私はできる!ってゆう強い気持ち。


そういうのって、みんな持ってない。


あんなに、自分をブレずに持てる人はそうそういない。


だからモネも、「神野さんに足りないところなんてあると思えません。」

そう言ったんだと思う。


足りないところを補う生き方よりも、持ってるものを活かせる生き方の方が断然に面白い。


それが活かせないのなら、場所を変えるのだって一つの手かもしれないし、どうしてもその場所で踏ん張りたいのなら、ないものねだりをしている視点を変えなければならないと思う。


それに、今こうやってもがき苦しんでいることは、神野さんの「経験」になっている。


全然、ハッピーだけで生きてないじゃん。


きっと、神野さんのことだから、数年後にはこの経験を乗り越えて、また逞しく生きてるんだと思う。


そんな生き方ができる人だ。


もしかしたら気象予報士の勉強をしている時もいろんな苦しみを感じていたのかもしれない。


それでも、なにくそ精神で乗り越えてきて、それを忘れているだけなのかもしれない。


内田くんが言ってたように生きてて何もない人なんていないんだ。


辛さや苦しさは人と比較するものじゃない。

 

神野さんが、自分を認めてあげられる日がきますように。がんばれ、神野さん!

 

 


そして、私自身も。

自分に足りないものってなんだろう?って考えて生きるのはもうやめよう。笑

 


自分ができることで誰かを救える人になろう。

 


人は皆、誰もが素晴らしい存在だ!^^✿

 

さあ。ご飯を食べて昼モネしよう!笑

 

 

 

いなちゃのグルメ日記🍚

こんにちは!いなちゃです。

 

先日、ふらっと京都に行ってきました。

大学時代を過ごした京都は、私にとって思い出の地。しっかりパワーチャージできました!

 

ランチしたお店がとっても素敵だったので、紹介してみようと思います^^✿

 

今回訪れたのは「野菜酒場あしおと」さん。

 

旬なお野菜や果物をたっぷり使ったランチがいただけます。

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※ランチメニューはひとつだけです。

 

新鮮なお野菜がいろんな料理で楽しめる!

かわいい、楽しい、美味しいランチでした。

 

特に美味しかったのが、さつまいもとキノコの炊き込みご飯。

 

土鍋で炊いたご飯は、ホクホクで最高…。最後にお出汁を入れて(これまた美味しい)お茶漬けにしてくださいました!

 

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店員さんの雰囲気もとってもあたたかくて、素敵なお店!

 

友達とのランチやデートにおすすめです♡♡

 

品数がたくさんあって、ごはんもしっかりお茶碗1杯分+お茶漬けなので、結構ボリュームあります!

 

夜の営業もされているみたいなので、また京都を訪れた際は、食べに行きたいと思います。

(今は緊急事態宣言でお休み中)

 

お店の予約はこちらからできます☺️🍀

https://www.tablecheck.com/shops/ashioto-kyoto/reserve?utm_source=instagram

 

 

ただの食レポ記事でした(笑)

では、また!